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宇都宮地方裁判所足利支部 昭和54年(ワ)122号 判決 1982年2月25日

原告

宮崎竹藏

外二名

右原告三名訴訟代理人

木村壮

右同

近藤康二

被告

穴原正司

右訴訟代理人

井波理朗

右同

服部訓子

主文

一、被告は原告らに対し各金三六万六、六六六円及びこれに対する昭和五四年一一月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四、この判決は原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は、原告宮崎竹藏に対し金四四〇万円、同宮崎なほ美、同宮崎千代子に対し各金二七五万円並びにこれらに対する昭和五三年一一月一二日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

(一)  当事者

1 原告宮崎竹藏(以下原告竹藏という)は、訴外亡宮崎タミ子(以下タミ子という)の夫であり、原告宮崎なほ美(以下原告なほ美という)・同千代子はいずれも原告竹藏・タミ子間の子である。

2 被告は、昭和二九年九月二一日に医師の登録をなし、昭和三六年に開業をなし、肩書地において、内科・小児科の診療を目的とする穴原医院を開業中の医師である。

(二)  医療事故の発生

1 タミ子は昭和五〇年ころから、高血圧の治療を主たる目的として被告の治療をうけていたところ、昭和五三年六月初旬、被告方に赴き、被告に対し上腹部痛・悪心があり、胃癌ではないかと申し向けてその診療を求め、病状の医学的解明並びにこれに対する適切な治療行為をなすことを依頼し被告はこれに応じた。

被告は、同年同月一三日には、タミ子の胃部を中心としたレントゲン検査を行い、右レントゲン撮影の結果、胃癌のおそれは全くなく単なる胃潰瘍と診断し、「二、三か月投薬を続ければ完治する」と申し向け、内服薬を服用するよう指示をなし、その処方をなした。

2 タミ子は被告の指示どおり内服薬を服用したが、いつこうに回復することがないことから、再三レントゲン検査など精密検査を要請し、病状の医学的解明を求めたにもかかわらず、被告は「胃潰瘍だから投薬していれば完治する」との一点張りで内服薬の投与を処方するだけであつた。

3 しかし、タミ子は、万一のことを考え、昭和五三年八月二五日訴外足利赤十字病院(以下日赤病院という)において診療をうけ、同年九月六日同病院に入院し、胃透視カメラ・注腸透視等の検査をうけた結果、広範囲の胃癌及び癌性腹膜炎であることが確認された。しかし、既に手術不能であると判断され、同年一一月一二日同病院で胃癌・癌性腹膜炎により死亡した。

(三)  被告の責任

1 被告は、タミ子から診療委任を医師として受任したものであるから、善良な管理者の注意義務をもつて、医師としての専門的知識・経験を基礎にその当時における医学の水準に照らして充分かつ適切な診療行為をなすべき債務を負つたにもかかわらず、次のとおりその債務の履行を怠つた。

2 まず被告は、患者であるタミ子の訴えに注意することなく、被告の撮影したレントゲン写真により胃部の異常な陰影を認めたのみで、漫然と胃潰瘍との誤診をなした。

すなわち胃部に限らず、当該部位の診断(判読)をレントゲン写真からする場合には、右写真の一部分のみに注視することは誤りであり、その全体像の状況と部分像を含めて総合診断(判読)しなければならないことは、その読影にあたつては、初歩的な技能・知識であるにも拘らず、被告は、被告自身が本人尋問において、タミ子の症状につきたいしたことはないだろうとの予断をもつていたためか、肝腎のところを見逃した、写真全体の状況を見逃した旨供述するように、被告は、右写真の読影において、まずタミ子の胃部の全体像のふくらみの足りない点に全く気がつかなかつたという初歩的な誤りを犯した。

さらに、被告は胃潰瘍と診断したこと自体間違つていないと強弁するが、右の全体像を見落した読影では、そもそも正しい診断はできないこと自明の理であるのはもとより、さらに、本件レントゲン写真をみれば、ぎざぎざのある写真、小彎のところの胃壁の線、その辺一帯に潰瘍があるようにみえる写真、潰瘍部分とみられる所にうねりがみられる写真もあつたもので、胃のふくらみの足りないことに加え、被告の発見したニッシェ(凹窩、以下略す)の他に不整な辺縁が疑われるものであつて、そもそも胃潰瘍と速断できる写真ではなかつた。

3 右のような初歩的な誤りによる誤診のうえに、レントゲン写真からは、その潰瘍が悪性か良性かの判断はできないものであつて、更に一歩進めた精密検査をなすべきであるに拘らず、被告はタミ子にレントゲン撮影検査を一回行い、内服薬を投与しただけであつて、タミ子が更なる医学的解明を求めているにもかかわらず、胃液検査・糞便検査・レントゲン撮影検査・胃ファイバースコープ(胃鏡検査・胃カメラ検査)などの確実な診断方法を怠つた。また、右に述べた各種の診断方法が被告の知識経験或いは施設からしてとりえない場合には、他の人的物的な医療施設の充実した医療機関への転医を促す、或いは他の医師の協力を求めるべきであつた。

4 以上の如く、被告は、タミ子が胃癌であるにもかかわらず、軽卒に胃潰瘍と誤診し、適切な治療を怠つたものであるが、これは、債務の本旨に従わない不完全な履行ないしは前記2及び3記載の過失のある不法行為というべきである。

(四)  因果関係

1 胃癌といえども早期に発見していれば、手術を施すことにより死の結果を免れることは不可能ではない。被告は、前記誤診、治療の怠慢によりタミ子の治療回復を不可能にし、少なくともその死期を早めたことは明らかである。タミ子は、死亡時スキルス(硬性癌)と呼ばれる悪性の癌に犯されており、右スキルスは、医学界において、急激な進展をきたし最も予後の悪い癌であり、その早期発見が難しいとされ、昭和五三年九月六日日赤病院入院の時点で広範囲の胃癌及び癌性腹膜炎と診断され、手術不能と判断されたものではあるが、被告においてレントゲン写真撮影をした同年六月一三日以後九月六日入院までの八五日間、タミ子は癌の治療を何らうけることなく放置されていたのであるから、この間に同人の胃癌が急速に進展をしたこと、及び六月一三日に胃癌と診断され、又は少なくとも胃潰瘍と断定されずにさらなる精密検査をうける機会を得ていたならば、癌が発見され、その症状如何によつては手術をうけられ、それにより、病気の特質から予後は悪くとも、いくばくかの延命の可能性が存したことは誰も否定できえまい。

2 仮に右が認められないとしても、少なくとも後述損害の2で主張する損害については、前記被告の誤診と因果関係が認められるものである。

(五)  損害

1 タミ子は、昭和一四年五月二八日生まれで死亡当時満三九歳であつた。良き夫に恵まれ、家庭的にも子供らが成長して安定期に入り原告ら一家は幸福な状態にあつた。それ故タミ子及び原告らのタミ子の死亡或いは延命できなかつたことによる精神的苦痛は絶大である。

2 被告の誤診の結果、タミ子は、適正な病名ないし情報をいち早く知り、適切な治療を受け、残された日々を悔いなく送る機会を奪われ、また、原告らは同様に、タミ子に適切な治療を受けさせ、悔いなくすごせるよう配慮をなす機会を奪われたものであり、このこと自体のタミ子、原告らの精神的苦痛は甚大である。患者およびその家族は、癌との診断をうけたならば、まず、適切な施術によつて再発悪化を防ぐことに全力をあげ、完治につとめる。完治せず死が止むをえない結果となつたとしても、適切な治療により一瞬間たりとも延命させることにつとめ、患者、家族はいわば死への心の準備をなすとともに患者の余生を充実したものにするべく心がけるのである。適切な治療を受けることに満足するのは結果の如何にかかわらない。タミ子及び原告らにおいても、このことは何ら変わるものでないところ、被告の誤診及び不適切な治療行為によつて予めこの機会を完全に奪われてしまつたものである。タミ子は、日赤病院において既に手術不能と診断された後は、抗癌剤の投与の効果もなく次第に全身衰弱し死亡するに至つたものであり、結局六月一三日から入院した九月六日まで八五日間何ら癌の治療を受けることなく放置され、六月一三日から一一月一二日死亡するまでの一五三日間適切な治療を受ける機会を奪われたまま死亡したものである。

3 タミ子の死亡、適切な治療をうけられなかつたこと等による精神的苦痛を慰藉するには金三〇〇万円が相当である。

4 タミ子の死亡、適切な治療をしてやれなかつたこと等による原告竹藏の固有の精神的苦痛を慰藉するには金三〇〇万円が相当であり、原告なほ美・同千代子固有の精神的苦痛を慰藉するには各一五〇万円が相当である。

5 タミ子の損害の相続

原告らはタミ子の前記慰藉料請求権を法定相続分に従い、各三分の一づつ相続した。その金額は各一〇〇万円である。

6 弁護士費用

原告らは、これまで足利医師会会長を仲介人として被告と再三交渉をなしたが、被告はその責任を認めず損害金を任意に履行しようとはしないので、本件が医師の誤診に基因する専門的知識が要求されることからやむなく本訴請求を原告代理人らに委任し、同人らと係争額の一〇パーセント、金九〇万円を弁護士報酬として支払う旨の約束をなした。右弁護士報酬金九〇万円は、被告の債務不履行ないしは不法行為と相当因果関係があるものというべきである。

7 よつて、原告らは被告に対し民法四一五条、ないしは七〇九条に基づき、損害金として、原告竹藏において金四四〇万円、同なほ美、同千代子において各金二七五万円並びにこれらに対する損害発生の日である昭和五三年一一月一二日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否並びに被告の主張

(一)  認否

1 請求原因(一)の1の事実は知らない、同2の事実は認める。

2 同(二)の1の事実中、タミ子が「胃癌」ではないかと申し向けた点、「胃癌のおそれは全くなく単なる」胃潰瘍と診断した点、投薬を続ければ「完治」すると申し向けた点をいずれも否認し、その余は認める。胃癌等の単語はタミ子も被告も使用したことは全くない。被告としては、亡タミ子に副作用として胃を荒らす血圧の薬を投与していたので、同女の胃の訴えは胃カタルのせいと思つたが、念の為レントゲン撮影を行つた。検査の結果胃カタルではなく胃潰瘍が認められたので、胃に穴があいているが、しばらく薬をのめば治るだろうと説明した。

同2の事実はすべて否認する。

同3の事実は知らない。

3 同(三)の1ないし4の事実ないし主張を争う。

4 同(四)の1の事実を否認する。一般論としては、胃癌といえども早期に発見すれば死を免れたり、死期を遅らせたりすることは可能であるが、タミ子の胃癌は、目立つような腫瘍も潰瘍をも形成せず胃壁が全体として厚く肥厚してくる胃癌のなかでもとりわけ悪性度の高いスキルスであつただけでなく、結果的には、レントゲン写真撮影をした六月一三日の段階で、非常に広範かつ進行した硬性癌であつたと判断せざるをえないので、救命したり、手術により死期を遅らせることはすでに出来ない状況にあつたと言わざるを得ない。

さらに、タミ子の場合は胃癌と診断されるまでに約三か月という病悩期間があつたことになるが、三か月という病悩期間はごく短い病悩期間であつて、被告に受診した為に、タミ子の病悩期間が特に通常に比して長びいたということはない。そして、タミ子の病悩期間がわずかに三か月であるから、タミ子の癌の発見が、特に他のこの種癌患者より遅れたということもない。のみならず、タミ子の場合、症状が現われたのは死亡五か月以前であつて、この時はすでに胃の広範囲に癌は広がり、且つ転移して相当日時が経過しており、手術して延命出来るケースでは全くなかつたうえ、タミ子の癌は、薬物による効果のある癌ではなかつたので、発見がもう少し早ければ延命出来たと言うケースにも当らず、結局スキルスの癌患者がたどるごく通常の経過をたどつたケースである。

同2の主張を争う。

5 同(五)の1ないし6の主張事実はすべて争う。もつと早く知つていれば、タミ子のために残された日々を悔いなきよう配慮をなす機会があつたとの主張に対しては、死亡の時期を早く予知すれば、それだけ人生にとつて利多いとは一概に言えず、仮にそれが肯定されたとしても、それは現在の社会の現状では尚主観的価値たるを免れず、まして金銭賠償の対象となる価値とは言えない。

(二)  被告の主張

被告は、以下の事実経過の下に以下のような判断をなしてタミ子の診断並びに治療に当つたものであり、被告には何らの過失はない。

1 昭和五三年六月一三日のレントゲン検査の結果、被告は、タミ子を胃潰瘍と診断し、治療に当つたが、その間の経過は、

六月一二日 昨晩、上腹部痛があり。

六月一三日 潰瘍と思われるところに圧痛あり。

六月一四日 一二日の胃の痛みは軽くなつた、食欲はある。

六月一九日 空腹時に胃が痛い、気持悪い。

七月三日 腹痛なし。

八月四日 四、五日前から下腹部痛あり、食欲もない。下腹部に圧痛がある(胃の症状なし)。

八月二四日 下腹部ほう満感がある(胃の症状なし)。

というものであつて、六月七日に胃の不調を訴え、その後胃潰瘍の治療を受けて以来、胃潰瘍の病気としてタミ子はおおむね順調な経過をたどり、その間特に新たな検査等必要性を認めるような症状は現われなかつた。

なお、被告においてタミ子の潰瘍を単純な潰瘍と診て経過を見ることにしたのはレントゲン像が典型的な胃潰瘍を示していた他に

(1) タミ子は年令が若く癌にかかり易い年令でなかつたこと。

(2) 症状の発現が比較的最近であつたこと。

(3) タミ子は栄養状態がすばらしく良く、血色が常人と変らなかつたこと。等により、まさかタミ子に悪性の癌が存在するとは考えなかつたからである。タミ子に右の事情が無ければ、仮に良性の潰瘍と診断しても、尚念の為タミ子を病院に紹介していたはずであつた。

2 ところで、レントゲン写真によれば、タミ子に潰瘍があつたことは事実である。したがつて、被告においてこの写真とタミ子の症状、体格、年令を考えて胃潰瘍と診断したこと自体は間違つていない。しかし、被告は、その他に更に精密検査を要する異常があるか否か識別し得なかつた。

六月一三日のレントゲン写真の結果、被告は胃のふくらみが悪いという印象をもつたが、今となつて見れば、それがタミ子の胃癌を表わすものであつた。又、タミ子がその後月日を経ないで癌で死亡しているという事実をふまえて見れば、被告は現在、右レントゲン写真からタミ子の潰瘍の附近に陰影欠損が認められるという印象をもつ。そして、被告の六月一三日における判断が間違つていたということになれば、右の胃全体の様子及び潰瘍附近の陰影欠損に気付くべきであり、気付かなかつたことに過失があつたと言うことにならざるを得ないが、この点に関連して次の点を指摘したい。

(1) レントゲンの読影は、かなりの経験と技能を要し、且つ直感も必要であり、計測器で計測するように単純にゆかない面も多分にある。特にスキルスの場合、レントゲン写真での発見はもともと非常に困難であつて、これと言つた決め手はないのが現状である。この癌の場合は、一般に診断が困難で、高度の医学的判断を要することが多く、タミ子の胃部レントゲン写真を見て、胃潰瘍の他に更に精密検査を要する異常を発見しなかつたことが、直ちに医師の過失と言えるか否か、被告としては疑問であると言わざるをえない。

(2) 結果を知つてから過去を批判することは容易であるが、その批判は多分に主観的なものである可能性がある。右に述べたように胃全体が小さかつたということ、潰瘍附近の陰影欠損が現在認められるということも多分に印象的なものであり、確固としたものではない。

なお、原告主張のように、被告において、「肝腎のところを見逃した」「写真全体の状況を見逃した」と言えるのは結果を見ているから言えるのであつて、被告のとつた方法にもそれ相応の合理性があるのである。

3 なお、タミ子に胃潰瘍の存在が発見されたとき、直ちに胃カメラ等の検査をすべきであるとの主張は医学の常識から言つて全く根拠のないものである。

本件タミ子の胃癌は、非常に悪性度が大きいのみではなく、発見が非常に困難な種類の癌であり、いずれ発見されたときにはすでに手遅れである為、専門家の間で何とかしてこの種癌の早期発見の方法がないかを模索中であり、ようやく最近になつて、良性の胃潰瘍だと診断していても、後日スキルスであるということが稀にあるので注意するように言われだしているのが現状である。従つて、昭和五三年当時はもちろん現在でも胃潰瘍と診断した場合に、尚胃カメラ検査等を直ちに行うことが通例になつているわけではなく、経験豊かな医師でもその点は、基本的には変りはない。癌の場合、非常に長い経過をたどるのが通常であり発見に一刻を争うというものでもないし、胃カメラ検査等も決して安全な検査ではなく、その効果も絶対ではない。そして、むしろ医師がこれを奨めても患者が非常に嫌がることが多い。従つて治療に当る医師としては、最も可能性の高い疾患をまず疑い、当該病気の治療に当り、診療の経過に応じて更に必要ならば検査をするという方法をとつても、この程度のことは実際に診療に当る医師に当然にまかされている。特に開業医の場合、仮に確定診断がつかなくても主としてまず臨床診断により治療を行って経過観察し、更に疑問があれば患者を大病院等に送るという方法をとるのが通常の方法でもある。

第三  証拠<省略>

理由

一本件診療契約の締結

請求原因(一)の2の事実については当事者間に争いはなく、また、同(二)の1の事実中、タミ子が昭和五〇年ごろから高血圧の治療を主たる目的として、被告の治療を受けていたところ、昭和五三年六月初旬、被告方に赴き、被告に対し上腹部痛・悪心があるのでその診療を求め、医学的解明並びにこれに対する適切な治療行為をなすことを依頼し、被告はこれに応じた点も当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、右の日時は同月七日タミ子において被告に対し胃の不調を訴えたときと認められ、これに反する証拠はない。ところで、タミ子と被告との間の本件診療契約は、タミ子の病状を医学的に解明し、その症状に応じた治療行為をなすことを内容とする準委任契約であると解するのが相当である。

二被告の診療経過

<証拠>によれば、以下の事実が認められ<る。>

1  昭和五三年六月七日、タミ子は被告に対し胃の気持が悪いと訴えたので、被告は、同月五日に投与した風邪に対する薬が胃に炎症を与えたのであろうと考え、胃の薬を投与した。

2  同月九日、タミ子は被告に対し、前日胃がひどく痛んだと訴えたので、被告は前回と多少内容を変えた薬を投与した。

3  同月一二日、タミ子は被告に前日の胃痛を訴えたので、被告は、やはり風邪に対する抗性物質その他の投与が影響しているのであろうと思い、更に薬を変えて投与し、鎮痛剤を一筒注射した。

なお、この日、翌一三日にレントゲン写真を撮ることにしたが、これは、被告としては胃の透視の必要はなくもう少し薬で経過をみた方がいいと思い、いつたん断つたものの、タミ子からの要請が強くこれを引受けたものである。

4  翌一三日、被告は、タミ子の胃のレントゲン写真(以下このとき写した乙二号証一ないし八の写真を本件レントゲン写真という)を撮つたところ、小彎の中心よりやや上の部分にはつきりしたニッシェを認め、胃に穴があいていることがわかり、被告はこれを単なる胃潰瘍と診断した。

5  翌一四日被告はタミ子に、本件レントゲン写真を見せながら胃潰瘍があると説明し、二、三か月薬を飲めば治るであろうと告げ、胃潰瘍の薬を投与した。

6  同月一九日、タミ子は被告に空腹時に胃が痛く気持が悪くなると訴えた。

7  翌七月三日、タミ子は被告に頭部痛を訴えたもので、胃については診療録の記載はない。

8  翌八月四日、タミ子は被告に、四、五日前から下腹が痛む、食欲は少し落ちた旨訴え、腹痛の箇所がみぞおちの辺りから臍より下の下腹痛に変化し、被告において触診したところ中に何かあるな、と感じた。被告は、腸にたまつたガスなどを排泄し易くする薬を投与した。

9  同月二四日、タミ子は被告に腹が張ると訴え、圧痛が認められた。なお、タミ子はこの日の後は被告を訪ねていない。

三日赤病院転院後の経過とタミ子の死亡並びに死因

<証拠>によればつぎの事実が認められ、これに反する証拠はない。

(一)  タミ子は、昭和五三年八月二五日、日赤病院外科第一部長訴外植松義和(以下植松医師という)の診察を初めて受け、胃癌ではなかろうかとの臨床診断の下に入院を勧められ、ベッドの空いた翌九月六日入院したが、入院時の臨床診断も胃癌しかも特殊な形の癌であろうということであつた。

(二)  その後タミ子は、内視鏡や注腸透視等の検査の結果、広範囲の胃癌及び癌性腹膜炎との確定診断をされたが、治療方針としては、手術は不能と判断され、制癌剤の注射による薬物療法を受けたが、その効果があがらず、疼痛持続、食物摂取不能で全身衰弱が増強し、同年一一月一二日死亡した。

(三)  タミ子の解剖の結果、「胃体部小彎側原発硬癌(印環細胞癌)、胃広範」と病理解剖学的診断がなされ、癌転移は腹膜、横隔膜、肝臓、脾臓、左右卵巣等にみられた。

四後日判明した本件レントゲン写真撮影時のタミ子の病状右撮影時の昭和五三年六月一三日の段階で、既にタミ子は非常に広範かつ進行したスキルスといわれる胃癌であつたと判断せざるをえない点は被告の自認するところであり、かつ、植松証言によれば、本件レントゲン写真撮影の時点で発見できていたとすればスキルスと思われ、胃全体が癌であつたと解釈しておかなければならなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

五被告の誤診と債務の不履行

以上によれば、被告は、タミ子に対し単なる胃潰瘍と診断したが、タミ子は右診断当時既に広範かつ進行したスキルスといわれる胃癌を患つていたと判断せざるをえず、結果的に被告は誤つた診断をなしたといわなければならない。そこで以下、被告の右誤診が債務の不履行になるか否かにつき検討する。

(一)  <証拠>によれば、以下の事実が認められ<る。>

1  本件レントゲン写真はよく写つていること。

2  右写真は一見して胃の広がりが足りないこと。そして、右写真だけでは潰瘍が良性なのか悪性なのかの判断はできず、右写真の全体像からいつて良性としておくのは危険であること。

3  植松医師が、日赤病院でタミ子の初診に当つた際のレントゲン写真も広がりが少なかつたようで、同医師はそれが癌ではないかとの判断の資料となつたと思つている。

4  スキルスといわれる胃癌は、他にびまん性癌ともいわれ、その特徴は、粘膜下層以下の深部浸潤形式が他の胃癌と異なり、胃壁全体に広範囲な浸潤をきたし、胃壁の高度の繊維性肥厚をきたす癌、と考えられ、癌の進行が胃の全面に広がり、胃が全体として癌性収縮をきたし、診断面においては、一年ないし数年の経過で急にX線上でいわゆる「皮袋状」或いは胃が「管状」を示すとか、一年ないし六か月程度の短期間で胃壁全体の硬化が生じる例がしばしば経験されていること。

5  一般にスキルスといわれる胃癌は、他の胃癌に比べ若くてやや女性に多いといわれている。植松医師も、若い人でやせておらず一見何も病気がないようでしかも胃の具合が悪いという患者には常識的に一応スキルスを疑つてかかる方針である。

(二)  つぎに、<証拠>によれば以下の事実が認められ<る。>

1  本件レントゲン写真撮影の際、被告の気持の中には、同写真に大した所見はないだろうという気持があつたのは確かであつたが、案に相違してタミ子の胃の小彎の中心よりやや上の部分にはつきりしたニツシエが認められ、胃に穴があいていることがわかり、被告は、右レントゲン写真は典型的な胃潰瘍であると思つた。

2  被告は、右写真の胃全体の形につき胃の開きが悪いという印象を初めからもつたが、単純に、発泡剤が悪かつたのか、ガスの出が悪かつたのか、注意したのに拘らずタミ子がゲップをしてしまつてガスが入つていなかつたなと考えた。ただし、被告はタミ子にゲップをしたかどうかの質問をしたか記憶がなく、ゲップでもしたのではないかと思つただけであり、タミ子がゲップをしたかどうかはわからない。

3  被告は、本件レントゲン写真読影当時、レントゲン写真の胃のふくらみの悪い場合にはスキルスがありうることも聞いていたが、後から考えれば、潰瘍と思つたところばかり注視していたので、写真全体の状況を見逃し、硬性癌のための胃全部にひきつれを起こしている解釈に考え及ばなかつた。

4  被告は、タミ子の右潰瘍を単なる胃潰瘍であつて更に検査をする必要のないものと考え、胃の右潰瘍が良性か悪性かについては全然念頭に入れなかつた。その理由は、タミ子の年令が昭和一四年五月二八日生まれ(満三九歳)であつて若いこと、体格が素晴しく良いことなどからくる先入観が余りに強かつたことによる。更に、タミ子の血色も殆んど常人に劣らないこと、風邪薬を飲ませたころから胃の訴えが始まりその症状が比較的短かかつたこと、タミ子は昭和五三年六月九日と一二日の各前日に、上腹部に激痛を訴えたが、激痛の可能性は末期の癌は別として胃癌より胃潰瘍の方の割合が多いと考えたこともある。

(三)  さらに本件においては、<証拠>によれば以下の事実も認められ<る。>

1  被告がタミ子に本件レントゲン写真の結果を報告した昭和五三年六月一四日、タミ子は長女の原告なほ美(昭和四〇年二月生)を連れてきていたが、被告は、亡タミ子本人に言えないときは娘が聞くということで連れてきたのかと想像した。

2  被告は、タミ子・原告なほ美に対し、そんな恐い病気ではないとか、胃潰瘍であり薬を飲めば二、三か月で治るだろうとか言つたが、後から考えれば、被告の説明を聞いたタミ子は、胃潰瘍と言われても、普通の患者が胃潰瘍といわれた時のような或る程度の衝撃ないし反応も、逆に癌でなく胃潰瘍でよかつたとの感情のいずれも示さず、無感動、はつきりいえば何か不満そうな、納得のいかない腑に落ちない顔つきであつた。

3  タミ子からレントゲン写真を撮つて欲しい旨の申出があつたが、被告においていつたんこれを断つた理由は、右写真を撮る必要はなくもう少し薬で経過をみた方がよいと思つたこと(前認定のとおり)の他に、被告は当時患者が多くて忙しかつたことも考えられる。

4  本件レントゲン写真撮影の約一週間位後、タミ子は、胃のあたりがなかなかすつきりせず、夫である原告竹藏と相談の結果、もしかしたら癌ではないかと疑い、被告に対しもう一度レントゲン写真を撮つてくれるよう要請したが、被告から、レントゲン写真はそんなに撮るものではないので、二、三か月経つたときに撮ろう、と言われた。

(四)  以上の事情を総合して判断するに、本件レントゲン写真には、既に胃壁の硬化ないし収縮をきたしたと思われる異常即ち胃の全体像が一見して広がりの悪いという異常があつたのであるから、そのような場合には、一般に、内科医師として当然に右異常に留意し、癌など悪性の病気を疑い右異常に対する医学的解明をなすべき義務があつたに拘らず、被告は右広がりの悪さに気づきながら、かつ、広がりの悪い場合にはスキルスがありうることを知りながら、単にゲップでもしたのではないかと思つただけで、それ以上の解明をなさずに典型的な胃潰瘍であると誤診したものであるから、被告には、内科医師として、鑑別診断上の過失並びに更に自己において精密検査をなすかその設備がなければ転医させることにつき検討を怠つた過失があつたと判断せざるをえない。

そして、前認定によれば、本件レントゲン写真撮影の経過からみても、被告は、投薬の影響と思い右撮影の必要はないと考え、いつたん断りながらタミ子の強い要請でこれを引受けるに至り、大した所見はないであろうと考えて右写真の読影に当つたこと、被告はタミ子に対する前認定の先入観の強さの余り、本件レントゲン写真の思いがけない潰瘍部分のみに注意をとられたこと、被告は、胃潰瘍であるとの説明に腑に落ちない表情のタミ子を前にしながら、その潰瘍が良性か悪性か疑いすらしなかつたこと、後日更にタミ子からもう一度レントゲン写真を撮つて欲しいとの申出がなされた際にも、被告は再度あらためて検討し直すこともしなかつたこと等を考慮すれば、被告の右過失の程度は決して軽微であるとはいえないものである。

付言するに、<証拠>によれば、被告は、本件以来、ふくらみが印象的に悪い等と思われる例三件を総合病院に転医させており、被告としては、良性の潰瘍と思える純然たる潰瘍でも転医するようにし、その意味では転医の基準を変えたことが認められ<る。>

(五)  1 なお、植松証人は、レントゲン写真における胃のふくらみの悪い原因として、ゲップ等の他に太つている人の胃は横に寝るので、本件の場合はそのせいと考えてもおかしくない旨供述するが、被告はこの点につき前記のとおり発泡剤やゲップのことを考えたとの供述があるだけであつて、他の原因についてはふれておらず、したがつてふくらみの悪いことの他の原因を検討したうえで判断した事情も認められないので、右証言も、被告の過失を左右する事情とはならない。

2 さらに、同証人の証言中、本件タミ子の潰瘍を本件レントゲン写真により良性と判断しても構わない旨の供述部分もあるが、右供述部分は、前記の同証人の証言と明らかに矛盾しており、かつ、およそレントゲン写真だけで良性・悪性の判断が非常に危険であるといわれ出しており、自分としては悪性を疑つてかかるとの同証人の他の証言部分とも矛盾しており、同証人の証言全体を判断した場合、本件タミ子の潰瘍を良性と判断してよいとの結論とはとうてい解されない。

3 被告は、レントゲン写真の読影は一般に難しく、主観も入り印象的なものであり、事後の結果をみて読影すれば診断時の判断と異なることも多い旨主張しかつ供述するが、本件のように、胃全体像についてその広がりの悪いことが一見して読みとれる場合には、右一般論を以て過失なしと解することはできない。

さらに、被告は、スキルスの早期発見は難しい旨主張し、急激な進展をきたす最も予後の悪い癌であり、その早期発見が難しいとされていることも当事者間に争いのないところであるが、亡タミ子の本件レントゲン写真撮影当時は、既に非常に広範かつ進行したものであつたことは前記のとおりであつて、右にいわゆる「早期」とはいえなかつたものである。前記乙八号証の文献には、「収縮を起こす以前においては診断は著しく困難である」とか、同九号証の文献には、「スキルスの胃壁硬化をきたす以前には……レントゲン診断が困難」と各紹介されている。

又、とくに開業医においては、胃潰瘍と判断すれば直ちに精密検査をすることなくしばらく経過をみるのが普通であるとの主張は、本件のようにレントゲン写真においてその異常のあることを発見すべきであつた場合には、その前提を欠くものといわなければならない。

(六)  被告は、本件診療契約に基き、タミ子の胃の病状の医学的解明をし、その病状に応じた治療行為をなすため、善良な管理者の注意義務をもつて、医師としての専門的知識・経験を基礎としその当時における医学の水準に照らして充分かつ適切な診療行為をなすべき債務を負つたものであるが、以上判断したとおり、被告のなした診療内容には過失による誤診があり、債務の本旨に従わない不完全な履行であつたといわなければならない。

以上によれば、被告は右債務不履行と因果関係のある損害について賠償責任を負うことになる。

六タミ子の損害と因果関係

(一)  被告がタミ子に負担した本件診療契約上の債務は、タミ子の病状の医学的解明とこれに基く適切な治療行為を行うことであつて、タミ子の生命を維持すること自体が債務ではない。従つて、被告の誤診がなければタミ子の生命が維持されたことの立証がなされなくとも、過失による誤診があれば通常生ずべき損害について、被告は賠償の責任を負うこととなる。

(二)  ところで、タミ子の依頼により被告が本件レントゲン写真の撮影をした六月一三日当時においては、タミ子の罹患した胃癌は、前判示のとおり相当進行していたものであり、右当時胃癌であることを認識し得たとしても、これに対する確実な治療法が存在したことの立証のない本件にあつては、被告はタミ子の死自体に対する法的な責任を負う理由がない。しかしながら、被告の誤診の結果、前判示のとおり、本件レントゲン写真の結果を知らされた六月一四日から、日赤病院で初めて診察を受け、胃癌ではなかろうか、との診断の下に入院を勧められた九月二五日の前日までの七二日間胃癌の疑いのあることを発見するにつき、又、右一四日から日赤病院に入院した九月六日までの八四日間胃癌の確定診断及びその治療につき、タミ子は無為の日々を送ることとなつたものである。そして、仮に被告が正しく本件レントゲン写真を読影して、タミ子又はその家族である原告らに、胃癌の疑いのあることを告げて自ら更に精密検査をするなり或いはタミ子に転医を勧めておれば、タミ子又は原告らにおいては、より精密な診断及びその結果判明したはずの胃癌の治療を受けるべく最大限の努力を為したであろうことは、弁論の全趣旨から明らかである。そうして実際より早くに制癌剤の投与等本件胃癌の治療に着手していれば、タミ子の死期はいくらかでも遅らせられたかも知れないと推認もされ得るところである。一般的にいつて、人にとつて一日でも生命が延びることはそれ自体極めて貴重なことである。そうであればこそ、医師は不治といわれる病気にあつても延命のために全力をあげるのである。又、不治と思われる病気に罹患した場合は、結果の如何にかかわりなく、諸々の制約の中でも最大限の適切な治療を求める努力をすることは、死期に近づいた人の生そのものであるといいうるのであり、充分な治療を受けて死にたいと望むのは余りにも当然のことである。ところが、タミ子は、被告の誤診の結果、右判示したような延命の可能性を失い、かつ、適切な治療を求めて努力する可能性を前判示の期間失い無為にすごしたものといわなければならない。

(三)  次に、右六月一三日ごろからタミ子が日赤病院に入院したころまでのタミ子の健康状態についてみると、原告竹藏の本人尋問の結果によれば、八月に入つても内職をしていた事実が認められ、これに反する証拠はない。原告竹藏は、本人尋問において、右当時タミ子の正確な病名がわかつておれば、体調の良いときに旅行に連れていつたり、好きなものを食べさせたりしてやりたかつた旨を供述するが、配偶者(夫)の気持として極めて自然な感情といいうるであろう。これをタミ子の側からすれば、被告の誤診の結果、まだ一応日常生活を大きな支障なく享受しうる時期に、夫やその他の家族から暖かい配慮を受ける機会を失つたものといわなければならない。

(四)  もつとも、右(二)項のうち最大限適切な治療を求める努力をする可能性を失つたことと、(三)項のまだ健康なうちに残された人生をたのしむ可能性を失つたことを同時に指摘するのは、ある意味では矛盾するかの如くである。しかし、医師から癌であることを告げられたタミ子或いは原告竹藏がどちらの可能性を追求しようとしたかは、その時のタミ子の表面的な健康状態、同人らが得たタミ子の胃癌の治癒の可能性についての知識、同人らの人生観その他の事情によつて決せられることがらであり、事後においてこそ、あれもこれもしたかつたと思うことである。しかし重要なことは、そのような二つの可能性をともに失つたということである。

(五)  以上のとおり、タミ子は被告の誤診により、①延命の可能性、②最善の治療を追求する可能性、③余生享受の可能性を失つたものである。タミ子が日赤病院に入院して、疼痛持続、食物摂取不可能で全身衰弱し、悪化の途をたどる一方の中で死期を迎えつつあつた間、被告の誤診のために無為にすごした日々につき悔恨の情をつのらせたことは容易に推認しうるところであり、その精神的苦痛は決して些少とはいえず、被告の過失ある誤診により通常生ずべき損害として法的に慰藉されるべきものである。

(六)  被告は、原告らにおいてタミ子が無為にすごしたと主張する右期間は病悩期間であつて、確定診断が出るまでは止むをえないものであると主張するが、右主張は、本件レントゲン写真撮影時に過失ある誤診のない場合を前提としており失当といわざるをえないばかりか、本件においては、原告竹藏の本人尋問の結果によれば、タミ子において胃癌と診断される機会をつくつたのは、即ちタミ子が日赤病院を訪ねたのは、調子が思わしくないので自ら自発的に行つたものであり、その前の八月初旬には、夫竹藏の勧めもあつて訴外池田産婦人科に行き子宮癌の検査も受け異常がなかつたので途方に暮れていた事実が認められ、これに反する証拠はない。これによれば、タミ子の適切な治療を受けられなかつた日が右期間ですませられたのは、被告の指導によるものではなく、タミ子自らの行動によるものであつたという事情もある。しかも、右期間はそれ程の長期間ではなかつたにせよ、タミ子の癌は、発見可能な時期から死亡までの期間が極めて短い悪性の癌であつたことを考えれば、右期間のもつ意味はこの上なく重要と考えなければならない。

(七)  そこで、以上に判示したタミ子の精神的苦痛に対する慰藉料の額を算定することとなるが、右に判示した事情ことに被告の過失の態様・程度、中でも、本件レントゲン写真を撮影することになつたのはもともとタミ子が強い不安に陥り強く被告に求めたためであり、再度のレントゲン写真撮影をタミ子から要請されながら、被告は癌の疑いに思いを至らせなかつたこと、タミ子は二子を持つ円満な家庭の三九歳の主婦であつたこと等を総合して考慮すれば、タミ子の慰藉料としては金一〇〇万円が相当と考える。

七原告ら固有の慰藉料

原告らは、タミ子の慰藉料の他に、原告らにおいて正しい病名をいち早く知り適切な治療をしてやれなかつたことによる損害を請求しているが、タミ子の前記の慰藉料を認容すれば、診療契約の直接の当事者でない原告らに対し、仮に不法行為責任を検討したところで、タミ子とは別に原告ら固有の慰藉料を認める必要性は乏しいと考えるので、いずれもこれを理由がないものとして棄却する。

八弁護士費用

当裁判所は、本件につき、債務不履行による損害賠償請求を認容したものであるが、本件の債務不履行はその過失が不法行為をも構成するような場合であり、かつ本訴請求の複雑困難性を考慮すれば、認容額の一割の金一〇万円をもつて本件債務不履行により通常生ずべき損害に含まれるものと解する。

九結論

原告らの身分関係は前認定のとおりであるので、原告らはいずれも法定相続分に従いタミ子の損害賠償請求権を三分の一ずつ相続したことが明らかである。したがつて、被告は原告らに対し各金三六万六、六六六円(円未満切捨)及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五四年一一月四日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることになる。<以下省略>

(杉本孝子)

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